東京の農業用水

Agricultural Water

東京でも、かつては多摩川流域や荒川・江戸川流域などに水田が広がり、これらの地域では河川から水を取り入れ、農業用水路が網の目のように走り農地を潤していました。こうした水田での米作りの光景は、全国各地で見られる日本の原風景と言えます。
東京の水田は年々減少してきましたが、都内には、今でも60以上の農業用水があります。
近年では、農業用水の持つ親水空間の提供や潤いのある景観形成などの多面的機能が見直され、市民から親しまれています。
ここでは、土地改良区が管理する5つの農業用水と島しょ地域の農業用水をご紹介します。

大丸用水

大丸用水は、江戸時代初期に農業用水として開削されたと言われています。稲城市大丸の取水口から多摩川の水を取り入れ、川崎市多摩区までの農地に用水を供給しています。
9本の本流と約200本の支流を合わせた総延長は70kmに及びます。現在では、この地域の特産品である梨の畑や水田等に水を供給しています。民家と用水路が隣接している場所も多く、用水路沿いの小道は散策路や親水公園として整備され、市民の憩いの場になっています。

管理:大丸用水土地改良区

まちを流れる大丸用水

春の梨園の開花風景

府中用水

府中用水は、江戸幕府による新田開発によって開削され、元禄6年(1693年)に完成したと言われています。この用水は、多摩川から取水された河川水に武蔵野台地西部の崖線からの湧水を受け入れ、国立市と府中市の田畑を潤し、再び多摩川に戻ります。
用水の総延長は約6kmで、水稲や梨などの果樹、多種の野菜の生産に活用されています。市街化が進む中、今でも田園風景の見られる地域もあり、東京で唯一“疎水(そすい)百選”にも選ばれています。
※疎水百選:農林水産省が日本の農業を支えてきた代表的な農業用水を約100か所選定

管理:府中用水土地改良区

府中用水にママ下湧水と矢川が合流

水稲の収穫風景

日野用水

日野用水の歴史は古く、今から450年以上前の室町時代後期の永禄10年(1567年)に開削されたと言われています。かつての日野市は、多摩川と浅川から引かれた農業用水が網の目のように走り、多摩の米蔵と呼ばれた穀倉地帯でした。
現在でも、用水路の総延長は約39kmに及び、水稲や梨などの果樹、多種の野菜の生産に活用されています。また、日野市では、水辺のビオトープや親水公園など市民が楽しめる施設を整備し、用水の管理も土地改良区や市、市民ボランティアが一体となって行っています。

管理:日野用水土地改良区

日野用水堰・魚が遡上できるように魚道も設備

日野用水と農地

昭和用水

昭和用水は、室町時代に用水路の原形が作られ、江戸時代の延宝元年~8年には完成したと言われています。福生市の昭和用水堰で多摩川の水を取水し、主に昭島市の農地に水を供給しています。また、立川崖線下からの湧水も昭和用水と合流しています。
現在では、宅地化により農地は減少してきましたが、住宅街を流れる用水路には親水緑道が整備され、潤いのある水辺の景観を提供しています。

管理:昭島用水土地改良区

昭和用水堰と取水樋門

立川崖線下の湧水は昭和用水に合流

小庄用水

小庄用水は、秋川の小庄用水堰から取水し、下田地区の農業振興地域のまとまった農地4.6haに水を供給しています。あきる野市の秋川左岸地域は古くからの水田地帯で、本用水の下流には、引田用水、下代継用水、東郷前用水、小川久保用水の4用水があります。
本地区では、水稲のほか多種類の野菜などが栽培され、周囲を秋川と樹林地で囲まれていることから、地域の貴重な田園空間となっています。

管理:五日市土地改良区

小庄用水堰

田植えを待つ水田

島しょ地域の農業用水

島しょには河川がなく、農業に利用できる地下水も少ないため、農家にとって水の確保は古くから重要課題でした。一方、花き・観葉植物の生産が盛んで、近年は、レモンやパッションフルーツなどの施設栽培も増え、農業用水の需要は増えてきました。
このため、土地改良事業により、各島の水事情に応じて、山あいからの水を集める貯水池(ため池)の整備や、限られた地下水を活用した農業用井戸の掘削、畑までのパイプラインの整備などを行ってきました。

笠地貯水池・三宅村

パッションフルーツの施設栽培・三宅村